昨年のテーマは「ていねいに生きる」でした。(参考記事:今年のテーマは「ていねいに生きる」)仕事でもイベントでも、もっと細かいところを大切にしていこうよ、ということ。毎日意識できていたかはわからないけれど、ざっくりいけたんじゃないかと思う。細かい目標に関しても、船舶免許とったし(3出航)、やたらチャリ通したりジム行ってる時期もあったし(ジム退会:2回)、キッチン立つこと増えたし(自炊:概算7回)。音楽に関しては引き続き頑張りたく。貯金は・・ まぁざっくり7-8割くらい達成したということでok!以下イベント(週末の旅行やパーティ)と仕事にわけて書いてみた
イベントに関して: 2015年もよく遊び、よく飲みました。まとめると3つ
- 出会うこと、話すこと
- 「超いい」って超大事
- 生ぬるいコミュニティを
出会うこと、話すこと
2015年は旅行も飲み会(/Party)も20回くらいしたし、海外も6か国周れたし満足。旅行だと、少人数なこと、一緒に過ごす時間が長いこと、ちょっと見知らぬ土地にいくことetc.が相まって仲良くなる確率は高い。一方で、呼べる人数が限られてしまうということで、その点はpartyの方がカバーできる。出会う機会、話す機会、どちらも大事で、最適な場って何なんだろうなあってことを1年通して、無意識に考えてたように思う。
別に結論が出たわけじゃないけど、やっぱコンセプトというか最初にイベントやろうって思った衝動?に立ち返ることが大事だなと。深く話すのであればやっぱ1対1がベスト。そこから1人増えれば1人に向ける時間や注意というのは単純に言えば半分になる。そこから徐々に増えてくれば1/3, 1/4, 1/5,..と減ってく。一方で、1対1以上のひとがいることで、会話に思ってもなかった化学反応が生まれ、おもろかったり、会話が深まったりすることもあります。その化学反応は事前に完全にplan出来るものでもない(そしたら面白くないし)けれど、少人数であればそのデザインはある程度出来るように思う。感覚的には、食卓を囲めるくらいの、7-8人くらい?それくらいの規模だったら、全員が全員と話すことも難しくないし、旅行であれparty(イケイケなやつという意味合いでなく普通に鍋とか)であれ、十中八九楽しいものは創れる。
一方でもっと色々な人に会うとか、予想を超える化学反応が生まれたのってどういうとこだろうって考えると、それは20-50人くらいの規模のものであったりする。人数が増えると場のデザインは難しくなってきて、特に50人とかの規模になると自分もきちんと全員と話せるわけではないし、50人全員がすぐに場に馴染んで楽しんで、というのも難しいから、「自分なにやってるんだろ・・」と思ったりすることもなくは無い。でもそれでこそ思ってなかったケミストリーが起きて面白いなと感じるとこでもあり、かつ自分がデザイン出来て見えてしまうってのも面白くないから、それはそれでやっていきたいなと思う。かつ、化学反応はデザイン出来ないけど、触媒はやっぱあった方が良くて、物理的/間接的な紹介であったり何かのコンテンツであったり、人と人が仲良くなるためのtinderというか、そこは考え続けていきたいなと思う
「超いい」って超大事
こう書いてると、他の人のために、僕は人と人が仲良くなる場を作りたいんです!というすげえ良い人の様な気がしてくる(ウェイ)。でも、そういう気持ちが無いわけじゃ無いけれど、そんな立派な人間なわけでもなく、結局はただただ自分が楽しい思いしたいだけという気持ちが原動力。
この飲み会をしよう!旅行に行こう!と思う初めのきっかけの多くは、「それ、超いい!」という衝動。魚の専門家が鮮魚仕入れて捌いてくれる魚パを東京でもやったら絶対楽しいよなとか、友達に「なんか伊豆に島があって、借りれるらしい」と言われ、それ超いいやん!と思ったことだったり。(遊びの)アイディアをカタチにするのは慣れてるから、土日という空白のハコを与えられて、家でダラダラしてるより多分この人(ら)とこれしてた方が自分が楽しいやろなという思いがまずある。 別に会社じゃないからイベント(旅行・party)を通して儲けたいわけじゃないし(むしろキャンセルで損失被るリスクある)、場所やロジの手配とか正直めんどいことも少なくない。だから当日は、参加者が楽しい様に…ということだけでなく自身や企画する人が楽しく無いと絶対嫌だし、結局そこが楽しくないと来てくれる他の人々も結局楽しめないんじゃないかなと思う。
そういう意味で、原動力になる1番最初の自分の「超いい」という感覚はすごく大切。社会人になって「会社」だったり「業界」 だったり自分の立場だったり、主語がピュアな自分でいられない機会が増えるから、何かと素直な自分の感情を察知することが難しくなったりもするけれど、良いものを良いと思う感受性は保っていたいなと思う
生ぬるいコミュニティを
こうして色々やってきて、結構参加してくれる人も増えてきてる様に感じていて(ありがたや)、それって何でなんやろ?ということを最近考えてた。よくわかんないけど大道芸とか音楽とか、自分に強烈なコンテンツがあるわけでもないし、トークが特別おもろいというわけでもなく、あるとすればやたら上滑りなテンションくらい。
そこで仲の良いイベ友が言ってたのが、「安心感」というコト。曰く、とりま参加しとけばきっと楽しいという安心感。そう言われると、超絶楽しくなるかはわかんないけど、おそらく家で寝てるよりは楽しいで!とは確かに思う。「コミュニティデザイン」なんてお恐れたことを考えてはないけれど、とりま楽しい、そんで適度に刺激的な生ぬるい場。
一方で、あまりトップダウンなガチムチなのは自分の領域ではないかなと思う。「日本の未来を考える会」「途上国支援のあり方を考える交流会」とか(実在するかは不明)、いやそれ大事だと思うしみんな話したらいいと思うけど、トップダウンでこれ考えよ!というガチムチ系の企画は今の自分は得意じゃない。それよりは、ただただ飲みたい泳ぎたいという思いで行った伊豆の町でふと地方創生について考える話す、くらいのほうがしっくりくる。要するに、ふらっと立ち寄って、肩の力抜いて、美味しいもの食べて、飲んで、partyして、気向いたら日本の未来についても話してもいいし話さなくても全然いいし、みたいな場がいいなと。
仕事でも、やはり関係者がどれだけお互いに知ってるか、コミュニケーションしてるかって結構大事だなと感じていて、将来的にそんな緊迫した状況においても、どこそこのセミナーとか”異業種交流会”で一緒だったということより、友達になること、「あ、昔島でBBQしたよな!」みたいなことがお互いのgood、社会人のgoodに繋がってくんじゃないのと。学生の時は、損得感情がない今が1番友達作りやすいなと思ってたけど、少なくとも社会人2年目の今はまだ、生ぬるくやってけるなと感じる。自分もいつまで日本にいるかわからないし、誰かが離れても盛り上がって、またウェイって戻ってこれるような場になってったらいいなと思う
「安心してください、楽しいですよ」、とにかく明るいウエムラで2016も乗り切っていきたいなと思います
仕事に関して: 仕事面は、特に心に残った言葉を中心に振り返ってみたく.
- ”Pick the battle”
- ”Trust the process”
- 「上に成長させてもらう必要は無い」
”Pick the battle”
会社の先輩に言われた言葉で、要は「まぁ文句言うのもいいんだけど、絞った方がいいこともあるよ」ってこと。生活の中でも仕事の中でも、イライラを感じる機会って結構沢山あると思う。でもその反応を怒りに変えるのか、そしてそこから更に反論や議論につなげていくのかというのはまた別物。コンサルの仕事はタイムライン的にもタスク的にもintenseなことが多く、ストレスを感じる機会は随所にある(別にコンサルに限らないとは思うけれど)。そしてその度に、同僚であったり上司であったりに、筋道を立て、論理的に反論をすることは案外簡単出来るように思う。仕事の進め方であったり、タスクの内容であったり。ロジカルに何事にもイチャモンつけることは可能ということ。
一方で、完璧なチーム、組織というのは現実的に存在しないわけで、やはり我慢しなくてはいけないこと、ひとまずやってみるということも必要になってくる。そして、反論したいことの中にも必ず自分の中で優先順位はあって、それの上から順に絞って攻めてった方が自分もエネルギーもsave出来るし、また議論や交渉が有利に働く。別にオフィスの中で自分が常にワーワー叫んでたとは思わないけれど、自分の反応をそのまま怒りという感情であったり、反論という行動であったりにつなげる必要は無かったと思う場面はあった。
ずっと我慢、何も言わないということではなくて、議論の対象を絞るということ。議論に対してはオープンなファーム・上司の中にいても、結果的に自分にとってベストな結果を得るために、議論を産むことが常にプラスになるとは限らないということを感じた1年でした
”Trust the process”
これは上司に言われたことで、「まぁひとまず信じてやってみなさいよ」ということ。人数の少ないこと、かつ海外からも頻繁に人がくる会社であったこともあり、これまで入社してから関わってきた案件は、ほぼ毎回上司が変わることも稀じゃなかった。その上司もフランス、イギリス、カナダ、アメリカ、アイルランド、ニュージーランド等々、そのほとんどは外国人の方だった。 皆優秀であることは間違いないけれど、マネジメントのスタイルであったり仕事の進め方、また日本におけるシステムやCultureへの理解度というのは人によってバラバラで、毎回その困惑はあった。一番初めはともかく、1年超やってきてある程度慣れてくるとアソシエイト(要すると下っぱ)としての仕事の内容はある程度分かってきて、自分のスタイルで進めたいことも出てくる。それはおそらく成長という観点では必要なことで、自分の型のようなものを形成していくべきなのだろうと思う。それ故「こういうやり方で」という指示に対し違和感を感じて、自己流というか、「いやでもこの方が上手くいきますよ」と突っ走ってしまったことがあった様に思う。
若手だから、という理由で提案が棄却される会社・人々では全くないけれど、これもおそらく1と同じく程度、そしてコミュニケーションの問題。まず反論から入るのでなく、よっぽどmake senseしないことでない限り、分析でもスライドでもひとまずやってみて、ある程度の形のものを出してから、それを踏まえて議論することが肝要だなと。人参片手に”Give me number!”と叫んでたロンドン本社のバリキャリwomanが頭によぎる。 会社という組織に属しているメリットの1つは、自分で事業をする場合と比較して、自分が思ってもなかった人との出会いがあることだと思う。そうであるならば、その「異」なる人との協働の中で、一旦他の型に染まってみて、それから考えた方が、学びの幅は広がりそう。
仕事に限らず自分は人の海で泳ぐことが苦手で、「主体性」とか「ユニーク」と言えば聞こえはいいけれど、flexibilityの無さと表裏一体なところもあって。その辺、どこの海に行っても、バタフライとは言わずとも平泳ぎくらいはできるようなしなやかさが欲しいなと思います
「上に成長させてもらう必要は無い」
これはあるイベントでお会いした投資銀行のシニアの方が仰っていたこと。「別に自分は上司に成長させてもらったとは思ったことはない。上司の存在によって生まれた環境や、その先のお客さんにむしろ成長させてもらった」と。こう書くと何だか自分が上司に不満を持ってるような感じがするけど、そういうことじゃなく。直属の上司に限らず、その上やひいては社長や会社に引っ張ってもらうことを考えるんでなくて、その存在によって生まれている環境をいかに生かして自分を伸ばしていくかが大事、ということなんだと自分は解釈している。
仕事の内容に大きくよるとは思うけれどやはり一緒に働く上司(直属ということに限らずもっと広く)にによって学びは変わってくると思う。 ただ授業で多く学んでる様に見える人が必ずしもテストでいい点取れるわけではないのと同様、やっぱりそこの在る環境でどうもがくかどうかなんじゃないかと思う。誰と働くかは多くの場合選べないことが多いのだから、上司品評会とか「この人についてって大丈夫か…?」ということに時間使うより、じゃあどうすっぺよってこと考える方が生産性高そう。逆に自分は良い上司sに恵まれてきたけれど、例えば空いた時間に業務とは直接関係ないアイディアをピッチしてみたり、他の案件の手伝いに手あげてみるだったり。もっと環境を活かせたなあと思うことはある
以上!こう書いてると、まとめると「お前もっと大人になれよ!」ってことに落ち着く気がして情けなさmaxなんだけど、まぁそんな感じで2016もえっちらおっちらよろぴくおねがいしゃす。長くなったので’16の目標はまたそのうち
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