月報 12月: 2024年に学んだ24のことと1年振り返り

Life

「2024年に学んだ24のこと」を書いた

アドベントカレンダーというものがある。ドイツに住んでいた頃、毎日チョコ食えて幸せ〜と思ってたアレだ。日本のスタートアップ、テクノロジー業界では12月に入ると社内でバトン形式で1日から24日まで記事を公開するという慣習がある。

相方がそれをやってみると言う。しかも1人で。上記の慣習だと、24人以上メンバーがいる会社で1人1回が基本なのだが、やってみたいけど1人なので1人でやるらしい。エエーー24本書くの?!と思ったけど私も便乗することになった。我が家は2人いるので2×12回の分業も可能なのだが、結局それぞれやることになった。

ということで書いた。24個も学んだあるんかい〜というセルフツッコミは何度もかかったのだが、自己満なので小さなことでも含めてOKということになると、意外とあった(“路駐”とかね)。

2日溜め込むこともあったが、なんとか完走した。書いてみて感じたことがいくつかある。

  • 意外と書ける: 24回分で合計25,000字くらい書いた。1本あたりだいたい1,000文字。毎月書いている月報が4,000-6,000文字くらいなので、4,5本分と思うとまァまァ書いたなと思う
  • 1トピックは1,000文字くらいが丁度いい: 1,000文字くらいだとさらっと書ける。この月報はひと月を振り返り出して、写真を見返して あーここよかったねとかカレンダー見て あーこれ忘れてたみたいなのがあって時間がかかる。書こうにもヨッコラショ感がある。
  • 生活まわりが多い: 仕事関連でも大きく学びはあった(個人的にはSQLの壁が打破できたのよかった)が、シンプルに新しい国での生活なので、生活まわりのトピックが多い

総じて、この取り組みをして良かったのは「出力と発信は違う」ということを再認識できたことだと思う。インプットvsアウトプット、入力vs出力というのがよく語られることだが、自分が文章を通して「アウトプット」するとき、それは往々にして「インターネットの野に放ち、SNS等で告知する」発信を指していたなと思う。発信は純粋な出力 = 手元のノートであれPCであれ、文章を吐き出す という営みとは一段階違う。書くことと違って、どこに出すか・いつ出すか・どんなコメントを添えるか(あるいは添えないか)など考えることが色々ある。ちょっとオモロイなと思うものが書けた時には、伸びてくれ〜という色気づく自分もいる。そうすると、出力にかける時間や脳内シェアが下がる。

今回使ったこのしずかなインターネット(通称: sizu)というサービスは、インターネット上のサービスなのでもちろん野には放っているのだが、ユーザーが出した記事がトップページにまとめられることもないし、そもそも記事にいくには基本的に個別のリンクを踏むしかない。特定のユーザーを「購読」することはできても、たしか更新があれば週1くらいのニュースレターが届くくらいで、まさに「しずか」なサービス。とてもよい。このサービスの特性により、書くこと=出力に集中できたなという実感がある。

今年は、月報とsizuを除くと公開した記事が去年よりも10本少なかった。カナダに来て時間と余裕ができたのにウームと思っていたが、出力と発信を切り分けて、一旦出力増やしていけそうな感覚を得られて良かった。ちなみにsizuについて、リンクからしかアクセスできないならなぜインターネットに公開する必要が?という問いはあるが、個人的には、読者が全然いなくても手元にのみある状態と、一応野に放つ状態を比較すると、後者はもうちょいちゃんと書こうという緊張感が少しあっていいと思っている。

2024年をざっくり振り返ると

以下3つ。

  1. 運動: 自分の体のコンディションの理解が深まった
  2. 仕事: 充実感を得られる仕事を得た
  3. 余暇: アウトドアで遊ぶ選択肢が広がった(解像度が上がった?)

運動

クロスフィット、サッカー、トライアスロン、チャリ通、..今年はかなり運動した。バンクーバーという街の特性(やたらと人が走ってる、通行人の3割、ジムの8割はルルレモンのピチピチのやつ)もあるが、多分シンプルにヒマだから。色々考えながらというより目の前に来たものをやってみるが殆どだったが、色々やり怪我もしながら、これくらいやるとよさそう・だめそうの肌感がついた。

具体的に言うと1日平均500-600kcalを燃やすことを目安とする。コロナになって始めたパーソナルトレーニング(余談だがこれもヒマが起因だな)にて習った食事制限を元にPFCとか糖質制限という技術を覚えた。ただ往々にして、これは大変なのである。糖質制限は日本人の場合、米を食わないことで一定の成果が得られるが、コンビニのおにぎりもうまいから大変。自分の場合基礎代謝が1,800kcalくらいあるので、それに加えて500-600kcal燃やせば、そこまで食事を気にしなくても、自分のありたい体型を保てることが経験則的にわかった。(ちなみに800mダッシュ等で1日800kcal燃やすというTJ Radioの話を参考にしています。800mダッシュは鬼..)

500-600kcalは、朝7-8時のクロスフィットジム(300-350kcal)、会社のチャリ通往復(15分, 200kcal)で達成できる。朝起きるのはしんどいが、まァ逆に起きればほぼ自動的に達成できる。朝クロスフィットとチャリ通で1日を始めると、同僚にも健康マウンティングができて精神衛生上とてもよい(※誇示するというより、周りが今日もやった?って聞いてくる)。計測は、あまり細かい指標は見ず前職のマッチョ社長が言ってた「結局体重と見た目」というのに習い、起きてすぐオムロン体重計に乗る・風呂前後に鏡で上裸でポージングすることで担保している。ポージングの時間帯、相方から「またやってる..」と乾いた声をかけられることもあるが、たぶん羨ましいのだと思う。

なおバンクーバーでもクロスフィットを続けたのは、この街に来て良かったことの一つ。クロスフィット、めっちゃいい。おすすめ。「すげーしんどそう」と言われることが多いが、やってれば慣れてくるし、強度はジムによってよりけり。私がバンクーバーで行ってるジムは日本で行ってたジム(日本橋)よりゆるい。上述したように、行けば300-350kcalがほぼ自動的に消費され、かつ基礎代謝に還元される筋力もあがるので、折に触れて頭をよぎる雑念「運動せな..」を駆逐できるのがいい。思われているよりしんどくないので、「クロスフィット、すご..」という畏敬の念を抱かれてる(よね?)のはお得な感じがする。この辺はトライアスロンに似ているところがある。

トライアスロン完走後もそのままサッカーの練習に行く元気があったり、30を過ぎても体力の改善を感じられてのは良かったが、怪我したりもしたので、来年は適切な負荷について考えるようにしたい。

仕事

まず仕事が見つかってよかった。就活は思ったよりめちゃくちゃ大変だった。終盤は「もうなんでもいいしインターンでもいいから雇ってくれ」くらいの気持ちになっていたが、結果的には運良く分野も待遇も申し分ない機会に巡り合った。就活の過程で、謎の交流会で知り合ったオッサン1の紹介でオッサン2に会いに行くために-25度のウィスラーという雪山へバスで向かったのも懐かしい。

仕事を始めて半年強経ったが、充実感を得られている。Very Good。分野としての面白さもあるが、「こういう環境にいたかった」と思える場所にいて、サバイブできてることが充実感に繋がっている。東京で10年働いていたが、常々、海外とくに欧米に食い込みたい・爪痕を残したいという念をなぜか持っていたので、自分としてはど真ん中な環境にいれるのが嬉しい。「自分やるなァ〜〜」と折りに触れて(勝手に)自己肯定感に浸っている。

そういえば、相方と話していても、自分は「日本人として◯◯」みたいなものが結構念頭にあると感じる。縛られているとも言える。例えば上記で書いた「自分やるなァ〜〜」の前にはカッコ書きで(社内に日本人誰もいないのに〜)とか(バンクーバーには日本人エンジニアは結構いるがビジネス職はほぼ見ない中で〜)が含まれている。かたや、社内や市内にはカナダ国籍ではないイギリス人もいればメキシコ人やインド人もいる。彼らが「(異国の地で)自分やるなァ〜〜」と思っているようにはあまり見えない。彼らが自分を見て、日本人は珍しいので、オォ日本人だ〜と思うことはあれど、キミ日本人なのにやるねぇとは別にならない(そりゃそうだ)。めちゃくちゃ運動するなスゲーとはたぶん思われている。

日本を離れて、異国に来て、日本人という看板を関係なしに採用してもらったのに、結局縛られてるんかい、というセルフツッコミはある。良いのか悪いのかはよくわからない。カッコいいかダサいかでいうと、後者かもしれない。そのうち、ゲームをクリアしたような感覚で、そうした縛りも抜けていくのかもしれない。そうであってほしいとも思う。まァ、でも30年いましたからね、ジャパン。今んとこは人様に迷惑かけているわけではなく勝手にいい気になってるだけだから、keep it goingです。

余暇

今年はアウトドアに全振りした。特にキャンプ。夏に10回以上行った。基本は相方と2人だが、ソロキャンデビューもした(飲み相手いなくて微妙だなと思った)。最近はスキーシーズンもスタートして、2週に1度は行っている。

新しい地で新しい生活、特に1年目というのは良い起点で、経験則からも最初にベタなことをやらないと結局一生やらない。東京には10年いたけど、東京タワーもチームラボも一度も行ってないし、猫カフェにも行ってない。なので、お金に糸目はつけず、テントも寝袋もBBQグリルも焚き火台もスキー板も車(中古)も買った。

アウトドアは好きだけど、放っておいても海に入ったり山にこもったりするタイプではなかった。金と時間と意識を使ってみてどうかというと、まだ放っておいて〜なタイプになった感じはしない。が、キャンプの仕方とかスキーの行き方(何時までに出ないと駐車場満杯になるとか..)がわかったことで余暇の過ごし方の選択肢が広がった。来年はもうちょい水に近づいていきたいのでSUPをもっとやってみようと思っている。

Activity

カッコ内は前月比

  • 飲み会: 8回 (-24回)
  • 運動: 432kcal/日 (-156kcal)

日本からこちらに帰ってきて飲み会が減ったのは想定通りとして、日本にいた頃より消費カロリーが下がったのはやや意外だった。足首の捻挫が再燃して大事をとっていたことと、普通にクリスマス前後に義兄弟がこちらに遊びにきてずっとホリデーしてたのでまぁそんな感じかなと。なお体重のグラフを見ると、日本に行くと2-3週間で体重が2kgくらい増え、それを2-3ヶ月で解消していくというのが完全に見てとれるので、ここから2-3ヶ月リハビリと思ってまた運動していこうと思う。

Reading

西洋の敗北

まだ読み途中(半分強)。ウクライナのロシア侵攻の前後での西洋の対応を紐解きながら、西洋を主語に、どこを見誤ったのか・今後どうなるか等について考察している本。日本やカナダでニュースを見聞きしていると、ロシアは完全な悪者とまで割り切らないまでも、得体の知れない気味悪さを感じる。ロシアには行ったことがあるしロシア人の友人もいるけど、そう感じてしまう自分がいる。西洋が実はよくなくて、ロシアはまともやでという趣旨でも全くないが、ただの「気味悪さ」の解像度が少し上がる感じがする。

本旨とは離れるかもしれないが、本の中で「国民国家」という話が出てくる。Coten Radioの受け売りだが、当たり前のように感じる「国民国家」( GPTにざっくり言わせると: 同じ文化や言語、歴史を共有する人々が、一つの国としてまとまった状態)の歴史はそれほど長くない(200年くらい?)。それが西洋では崩れてきていると。自分の理解では、彼はそれが悪いとはシンプルに言ってないと思うのだが、その崩壊はアイデンティティや一体感が失われたり社会の不安定化に繋がるというようなことを言っている(たぶん)。

いきなり身近な話になるが、カナダは移民が多い。直近の人口増の95%以上が移民だという話も聞いた。最近アメリカの影響もあるし、移民への締付けが強くなろうとしているところだが、既に受け入れた移民(永住権ないし市民権を付与した人々)の権利を引っ剥がすことはおそらくしない。ので、現状として多いということはすぐには変わらないと思う。日々生活して、色々な文化の人が生きている環境というのは面白いと個人的には感じる。一方で、国単位で見た時に、こうした人々がどれほど、カナダのために、とか身近でいいから社会に貢献しよう、という思いを抱くのかはよくわからない(税金という意味では誰しも貢献してると思うけど)。誤解を恐れずにいえば、日本人ばかりの日本での平均値よりはめっちゃ低いのではと思う。正直、自分もこのまま5年10年とカナダに住んだとして、日本に対して思う気持ちの30%でも抱くのかはわからない(抱かないだろう、ということでなく、本当によくワカラン)。

乱暴な結びつけだが、事業を営む会社も、その目指すところと働くひとの方向性が一定一致していないとあまりうまくいかない。そういう意味でも、移民とか、多文化を許容する社会というのは(外部から来た民として)心地よいが、国としてどうやってくかってのは結構ムズいよな〜などと思った。いやー、普段あんまこういう本読まないので、読むの時間かかるし、読んでもあんま批判的視点すら抱けないのでムズいぞ。(ムズいしか言ってない)

Listening

なんか

【30秒以下のストレッチはほぼ無意味】(PIVOT)

が面白かった。

強度の高い運動(自分の場合サッカー)をやっていると、体の節々が痛くなるのでストレッチをせねば〜と思うし、そんなことを言ってる気がする。この動画はタイトル通り、みんなストレッチ好きだけどあんま意味ないぜ、ってストレッチの研究している人が言ってる。

タイトルを読むと、長くやればOKみたいなことかなと思ったけど、「ストレッチ全般が体の疲労軽減や予防に繋がる確証はない」というようなことを言っている。疲労感は軽減するけど、疲労は別に減らないと。自分はストレッチが好きでも嫌いでもないので、これを見て、もっとやろうともやめようとも思わなかったんだけど、なんか妙に納得したところがある。

筋トレ、食事のコントロールをした際、自分の願いと努力と反して、自分の体に影響が出るのはかなりゆっくりだ。そしてそれほど効果が出てないと感じることが往々にしてある。でもやらないと改善もしないし、年をとれば改悪のスピードはきっと上がる。もともと時間がかかることである。ストレッチは、筋トレや食事のコントロールよりも、継続的にやっている人が少ないような気がする(肌感です)。自分もそう。なんか運動前におもむろにアキレス腱を伸ばして、体にいいことをしている気になる。でもその日やその特定のアクティビティに対してすぐに効果をもたらすというのは幻想なのだろう。結局こういうのも地道に重ねていくしかない。

筋トレもそうだが、ストレッチなんかも、自分の体の一部に対して、この部分を鍛える・和らげたいというメッセージなんじゃないかと思っている。やり始めたばっかとか、定期的にやってないと、体サイドからしても「え、そうなん?ここ注力したかったん?」となる。なので、定期的にやって、ほんまなんすよ..というメッセージを送り続けるしかない。ということで、個人的には、体に時間をかけながらメッセージを送る(文通?)くらいの気持ちでストレッチをやろうと思ったのでした。

Buying

今年のベストバイは車でした。来年もたぶんまた色々買います。

https://x.com/_nauya/status/1872166956838584705

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