最高の3年間でした。
3年間お世話になったうどん屋を卒業し、来月から次のステップに進むことになりました。色々あったけど、最高の3年間でした。良くも悪くも思っていたことと違うことはあったし、なにくそ!と思うこともあった。でも、総じて、コンサル(提案)→事業会社(実行)に移ることで深まった領域と、あとは当時は思っていなかった方向性に知見と興味が芽生た、3年間でした。
3年前の答え合わせ
ちょうど3年(と1ヶ月)前に書いた記事を見ながら、今の時点でのコメント、答え合わせをしていこうと思います。↓を参照しながら(引用するためやや長くなります。さくっと読み流して頂けますと)
1、ほっとくと絵に描いた餅。8割の泥臭さ必須。でも絵も大事
実行への関心
コンサルとして色んな業界の構造をガリガリ調べて考えて提案するのは知的好奇心を刺激+適度にアドレナリン出て楽しいけど、提案の先の実行に携わってみたいなと。加えて、偏見を恐れずに言えば、コンサルは割とノリとかテンションをworkに載せにくいタイプの仕事。どっちか言うとノリで動く企業のためにロジック作ってあげたり、「ちょまてや」と伝える仕事だから。受け売りだけど、コンサルは答えのないテストをずっと解いてる感じはあって、綺麗な戦略もいつ/どう動かすか(あと普通に運も)による部分多いと思う。テンションあげて実行の部分やって、結果まで見て、PDCA(コンサルっぽい!)回していきたいと思った。
→
- ここは概ね想定通りだったと思う。やってよかった。クライアントのふわっとした目標や課題を読み取りながら、ロジックに落としていく仕事から、ときにはコンサルへ発注しながら戦略→実行を描き、動かす仕事へ。当時は、(顧客へのプレゼンで)会議室にて「いいね!」となったものがどこまで落ちているのだろうか、と思っていたけど、ごくごく主観的な経験からすると、やっぱ落ちるのは2割くらいかなと
- 例えば海外グループ企業の経営メンバーと議論する際に、そもそも意見が衝突することはあるけど、目指す方向性は一緒だし、議論と論理を重ねていくと、一定の結論には至る。「いいね!」となる。ただ、そこからが問題で、ほっとくと1ヶ月後に、「そういえばXXの件は?」と聞くと、「Oh~ちょっとビジーで・・そもそもあれはさーXYZ」みたいなことはよくあった。イラッとする。でもよくよく聞くと、彼らとしても、ピュアにサボっていたわけでもない。彼らは彼らで定常の日々の仕事(オペレーション回すとか、店舗建築のプロマネするとか)はやっていて、それも時間外労働もしてやっていたりする
- あまり綺麗な話ばかりをしても仕方なくて、じゃあどうやったら、100も80も難しいけど、40はできるか、そしてどうやって60に近づけてくか。そういうフィッティングを結構な頻度でやっていく必要がある。繰り返しになるが、意図的に手をつけてないとか、サボるということでなく、通常の業務の延長の仕事となると時間的にも精神的シェア的にも手が回らないのである
- ときには、自分が手を動かすがベストという結論もありうる。これは結構要注意で、自分がラインに入ってしまうと、自分が抜けた際に(やめるということでなくとも、素直に関わりをへらす際に)、そのアクションの継続性が担保されず、止まってしまうことも。なので、基本的には避けるべき。ただそれでも、ときには純粋に人が足りないとか、あとは動いてもらうための信頼醸成のための「おお、こいつやるやん」(“Quick win”)ということのために、あえて、コンサルだったら1年目の子がやってくれたのになーと思うことを自分で手動かしてやることが有用になりうることを知った
- そしてモデルを作る際にも、セグメントは22個に分けて5つのシナリオを階層的に見れるよりも、セグメント一つしかないし売上にかかる変数1-2個しかないような、精度は低くとも、理解と運用が簡易な簡易版のほうが(継続的な)インパクトを生み出せることがありうることを学んだ (あと、エクセルやスライドのテクニックは、日本でも海外でも、表層的ではあるが、「こいつやるやん」を生み出すのに便利だなと感じた)
- なので、「海外事業」とか「経営企画」というと響きはファンシーなのだけど、やってることは猛烈な尻叩きだなと思うことはよくあった。木刀振り回すなにわのヒップヒッターである。私は結果的には海外の事業管理及び推進がメインだったので、自身が経営者や経営メンバーとしてダッシュするよりも、伴走する仕事が多かったから、本当の意味で最前線で事業に関わると(それこそスタートアップのCxOで)、「事業会社」といってもまた違った経験になるのだとは思う。でも総じて、最前線だったらそうだろうし、横からヒップヒットしまくる伴走者でも、人一倍対象事業やブランドに対して愛着やパッション、期待を持つことが最終的に人を動かすことに繋がる。それと同時に、ロジックや、一歩引いて中長期的な視点を持つこと(=コンサルでやること)もやっぱ大事だなと思った。日々全力で走ってても、方向性が違ったり分散していると、無駄が出てしまうから。事業に日々向き合ってると、能力の有り無しでなく、そういう視点から考えることが少なくなってしまいがち。そういう意味で、当時、(コンサル時代に)会議室で「この抽象的な話意味あるのか..?」と思っていることにも意味はあったなと思うし、でもやっぱそれは2割であってそこから実行に移す、そして結果につながるには8割の泥臭い補完が必要ということも知った
2、日本流でも欧米流でもなんでもええから価値を出す
ほどよい「日本流」とは
コンサルで(日本企業→海外企業の)M&Aのデューデリや買収後の戦略に携わったり、周りの友人の話を聞いていて感じるのは、海外企業を(日本企業の)本体に組み込む時のやり方が極端だなーということ。一つは、オペレーションや仕事の進め方でガチガチの日本流を押し出して(よくある例:日本から全部経営層送ってガチガチに固めちゃう、後はアフリカの子会社にもタクシーレシートの提出を義務付けるとかも聞いた…)、現地の人や組織が疲弊する。もう一方は、とりあえず買ったけど完全放置で、現地企業が言うこと聞いてくれなくなるパターン。勿論これらが機能するときはある。けれど、そうじゃない時に、その間の、もっとleanなやり方ってあるんじゃないかと。誤解を恐れず話を拡大すれば、「日本流日本流」と言うけれども、何をもって”日本流”なんだろうと。食の輸出ひとつとってみてもそうだし、組織のシステムもそう。完全日本流でもなく、完全現地流でもなく、そこが混ざりあったような食**や組織。そういうものは何なんだろうかということを色々試行錯誤しながら考えたいなと思ってます。
→ これは、M&Aならびに事業運営に関わる中で、日々考えさせられることでした。この会社をうちの会社が、日本の会社が持つことでの便益は何なのか?投資先からの学びや金銭的リターンもそうだけど、投資/買収したことによる自社→投資先へのシナジーは何なのか?3年間という時間は長くも、まだこの壮大な問い(s)に対しての結論を出すには短かった。ぶっちゃけ入った時に、「これがうちのPMI*の方程式です」というのはなかったし、模索しながらやるトライ・アンド・エラーの3年間だった。形式知化に取り組んでるけど、やっぱでも「これが答えです!」とは言えない。現時点での所感を無理やりまとめるとすれば、「①基本的に現地のマネジメントに任せるのが良い、②でもガバナンスめっちゃ大事。③あとやっぱギブ&テイクです」。
*PMI=Post merger integration、M&A(合併・買収)後の統合プロセス。事業の改善のための所作
- マネジメント: 業界ならびに対象会社のステージによって違うのでなんとも言えないけど、日本企業→海外企業の投資/買収ということでは、基本的にマネジメント(=社長並びに主要な経営陣)はやっぱり現地の人のほうが良い。餅は餅屋。展開・成長を目指しているのであればなおさら土地勘とネットワークのある現地の人が良い。
- これはベースとして、特にB2Cであればやっぱりその国で育って、その国の文化や人が考えていることの理解がある方が良いということがあって、加えて、現地の「インサイダー」となれる確度が上がること
- 良い投資案件にたどり着くにも、店に来てくださるお客様の心に入り込むにも、やはりインターフェースをなるべくなるべく現地にあわせていった方が入っていける(確率が高い)。アメリカはオープンな国だけど、思想・人種・地域、やっぱり壁はある。基本的に現地の知見が豊富な人員に事業を切り開いていってもらうのが一番だと思う
- ガバナンス: ガバナンスというのは基本的にはストッパー的な文脈で語られることが多い。雇い入れたマネジメントが期待する働きをしているのかを取締役会並びに経営会議にてモニタリングする、経費の使用は適正かチェックする 等々。そうしたモニタリング・チェックという文脈は大事なのだけれど、一方で、ここまでは現地の自由に意思決定していいよ(=ある意味でリスクフリーで意思決定をして良い)という塩梅の設定でもある
- ①にて書いた、現地に任せるという文脈において、そのバランスをとるのが必要。ケース・バイ・ケースなことは多いし、会社の成長やステージによっても適切なあり方は変わってくる。重要なのは、日本側の意思決定者が現地への理解が深くないのであれば、どこまでは許容できてどこはできないのかを間にはいる人が読み解き、どういった時間軸にて許容をしていくかの青写真を描き、現地とコミュニケーションをとること。現地にとってもこちらにとっても、日系企業とアメリカ企業の協働というのは米国内同士に比べそんなに頻繁にあることではないから、対話が大切。
- M&Aや海外企業との協働に慣れていなくて、序盤はXXに関しては許容できなとか、こちらのチェックを挟んでほしいというのを初めに伝えるのは(たとえそれが短期的には現地のオペレーションの負担になったとしても)大切だし、黙って見ていてあとで全部ひっくり返すよりよっぽどよい(邪推もあるが、日本企業はこういうパターンが多い気がする)。そして現地の人だからXXとか日本人だからYYということはなくて、私個人の経験では経費の使用に疑義が生じるとか、意思決定が不明瞭ということは現地の人でも派遣された日本人でも等しく起こっていた。むしろ、アメリカ人の方がBoard(取締役会)を通したガバナンスや株主といったものへの配慮とリスペクトがあるように感じた
- 関係性は発展するものでもあるので、最初は現地のマネジメントに不安を感じていても、それが信頼に変わるということは十二分にありうる。どうしても相手の言語やニュアンスを理解できないで(社)内部を話をすすめると、疑義が疑義を生み、極端にになってしまいがち。初期にそれを察知し(例えば月次や隔週の会議にて)、必要であれば現地側を牽制するし、でもやっぱり基本路線としては現地が主導して意思決定ができるように、場合によっては「ここは任せると決めましたよね」とリマインドしながら現地側へのスペースも確保する。あくまで、現地側の暴走を抑える、ということよりも、現地側の主体的な事業推進を健全にサポートする気概とマインドが大切と思う
- ギブ&テイク: 往々にして、海外企業の買収において、それが人材であれノウハウであれ収益源であれ、「買収主体が」何を得られるか?ということに議論が集中しがちと思う。企業買収において、基本的には現状よりも成長する期待にプレミアムを上乗せて対価(現金または株式等)を払い企業を買収する。お金を出す買い手は、「こっちが(巨額の)お金を出しているから」という思いもあり、とかく親会社>>子会社みたいな構図が生まれやすい。けれど、本来的には、前述の「成長する期待」に対してプレミアムを払ってるわけだから、対象企業が成長しないと元も子もない(できないと価値を下方修正=減損する必要も出てくる)
- 自社が支払った対価を正当化するためにも、対象企業がどうやったら伸びるか?ということを全力で考えなくてはいけない。対象企業から人材もノウハウも収益源も得たらいい。ただ、同じ熱量で、「当社が株主/オーナーになる意義は何なのか?何が提供できるのか?」ということを謙虚に考える必要があると思う
- もし、自身が所有するよりも他のオーナーがいた方が企業/事業の本質的価値が上がりうるのであれば、第三者へ譲渡することも考えるべきかもしれない。正直言って、海外の会社が(日本企業に限らず)例えばアメリカの会社を買収する時に、提供できる価値というのはそれほど多くない。言語の壁は随所にあるから人もマニュアルも横展開できるわけではないし、立地要件も法律も違う。買収側の方が大きな会社のことが多いから、色々なシステムは整っているかもしれない。そこは余すことなくノウハウを共有すべきと思うけど、本質的に日系企業だからできるというものでもない
- 一般論的に日系企業が海外の(特に欧米の)企業を買収する際に提供できるものは、利率の低いデットへのアクセス、つまり安く借金できることくらいなんじゃないかと思うこともあった。ソフトバンクの孫さんは「シナジーなんてない」と言い放つ。買収前には、自社の何は対象企業に何が提供できそうか徹底的に考えるべきだし、買収後は、その仮説が合ってたとしてもそうでなくとも、自身がテイクするだけでなく、何がギブできるのかを徹底的に考え続ける。それが日本の会社だから、ということでもないのかもしれないが、株主という、客観的な立場だからこそ見えること、提起できることはあるのでないかと私は信じている。
こうして書いてみると、「日本流」というのが何なのかはまだよく見えてないように感じる。むしろ、何流でもええけど価値を出すんや!という意気込み(精神論っぽくなってしまうが…)の方が大事かもしれない
3、グローバル力は大事だけど、組織にて活かすのは意外と難しいかも
「グローバル力」、有用なんじゃない?
個人的には、これから海外に出ていこうという企業や、または例えば旅行業界のように海外からのインバウンド客との関わりが重要な企業にとって、高い語学力や異文化への寛容性、現地の現場理解に努める姿勢(長いので、ひっくるめて仮に”グローバル力”とでも呼んどく)は、論理的思考力や人柄?といたことと同列で必要不可欠、かつ有用と思っている。けれど、日本企業の間ではまだ”グローバル力”はまだ主要件と思われていないのが現状と感じた。その原因は、
- 海外進出や海外からの需要に応えていくにあたり、”グローバル力”は別にそんな有用じゃない(他の採用要件とくらべて)
- “グローバル力”のある人材が持ち込みうる価値がまだ実感値として感じていない
- そもそも語学力に関しては、テストできる人もいない
3は事実としてあるとして、1か2か。個人的には2でないかなとは思ってる。例えば旅行業界の例で言えば、おそらく、「グローバル人材ほしいyo」と発信してる「事業開発部」だったり「経営企画室」。それを取り仕切っているのは生え抜きの社員の方(現状”グローバル力”低めがち)or 元大手外コンのマネージャー(必ずしも”グローバル力”高くはない; というか英語とか全く使わん外コンも結構多いyo)とか。こういった方々が仕切る採用現場では、ロジカルに考えられるかとか頭ちゃんと使う体力あるかとか、あと人柄とか見て、最期に「そういやyou”グローバル力ある?ない?まぁ(共に)頑張ってこうかー」あたりが落とし所。実感あと1−2年はこのままいけるのかも(=”グローバル力”つける時間あるかもne)
→
- 3年前これを書いた時の考えは、4割くらい正解だったなと思う。この時イメージしていた要件の人の群というのは、一般論的に希少性はあって転職市場において相対的に高値で取引される。会社に入れば期待もされるし、白人に囲まれウェイウェイ話してたらピンクな目で見られることもあるかもしれない。正直3年前に「主要件ではないかもしれない」と書いていたのは「主要件になるべきだ、もっとそういう人を採るべきだ」と暗に思っていたことの裏返しだった。自身が経験した、「日系の事業会社」というカテゴリにおいては、会社のサイズと事業にもよるが、数はそんないらないし、きちんと活かすのって難しいねというのが今の所感。(※コンサルやIBD、弁護士のようなプロフェッショナルファーム、そして外資系の事業会社だとまた事情は違うのかもしれない)
- そもそも、海外進出や海外セグメントを推している会社があった際に、そもそも今海外やる必要あるのでしたっけ?という論点がある。日本の事業が袋小路で逃げの海外となっていないか?株主に言われるがままのなんとなくの「海外」となっていないか?そもそもここをクリアできないと、ふわっとした感じで入ったいわゆるグローバル人材は辛い思いをする。これはそもそも入った個人の能力ではどうしようもない部分にもなってきてしまうのでパフォームするのは難しい
- 次に、仮に戦略的に海外がやはり必要、もしくは創業者/社長が強い想いがある場合。この場合は、グローバル人材は大いに活躍できる素地がある。けれど、それでもワークしない場合というのは少なくない。もう既に海外拠点/事業が単独で成立しているということでなければ、国内で稼いだキャッシュを散財している部署や人という見られ方をしたり、既存の組織の人とは異質な人材だとやっかみがられたり、あとは待遇がそんなによくなかったりしてコスパ悪いなと思って辞めちゃうケースもある(そして部署/チームのイメージが悪くなる悪循環)。それを避けるためには、まずはトップのコミット。最初から黒字でボロ儲けという可能性は低いので、批判は出ることを想定してそれが出てもぶれないコミットを持つこと。次に、そういった異質な人と既存の人をつなぐ水先案内人のような役割の人の存在。これは必ずしも役職と相関しないが、なるべく組織として偉い and/or 信頼を得ている人だとなお良い。「何を」言ったかよりも「誰が」言ったかの影響は大きいなあと感じることは自分自身多くて、そういう意味で、特にそういった既存組織にとっては異質な人が入った際に、もとからいる人が「まぁまぁ」と諍いに入ってくれたり紹介してくれたりすることの価値は計り知れない
- 一方で、ワークしない場合に、人材側にも責任があることは当然ある。特に、高待遇よりも熱意や事業に惹かれて入った場合に、実際その人も他に行き先があったり前職に戻れば給与上がるみたいな拠り所があると、どうしてもそれが態度に出てしまい、それがまたハレーションを生み居づらくなってしまうということも起こり得る(当人にっとては給与下げて来て”あげた”、と思っても周りから見るとだいぶ高いということもあり得る)。期待値調整が大切で、入る前からデメリットやリスクといったダウンサイドも話し、そして入った後も上長がその人をきちんと叱る(褒めるだけでなく)ことが大切だと感じる
以上の話は自身の経験もあるが周りの友人知人と話していて気づいたことをまとめたもので、未経験の業界にちょっと異質な経歴で入った自身の経験からすると、98%はwelcomeに受け入れて頂いたなと感じる。今思うと失礼な発言をしていたなと恥ずかしくなることもあるが、それも「若いから」ということもありおおらかに受け入れてもらったケースの方が大多数だった。コンサル時代はそこまで深く事業会社の内部に入ることはなかったけれど、(中小企業の方が多かったからかもしれないが)若者が大事だ、道を譲ろう、という気概の人は世間で言われるほど少なくないのでないかという希望も抱いた
4、一旦染まって、そこから色を出す
海外で根張ってグイッと伸ばしてくために
でも、これではチョット進出しましたねーパチパチで終わっちゃう。やっぱり海外で根を張ってグイッと伸ばしていこうと思ったら、社内力高めの日本人のおっさんを送り込むだけじゃきっと難しい。週6で日本食レストラン行って現地の駐在ピーポーと夜な夜な(日本人向けの)キャバクラ通って折に触れてテイクアウトしちゃうおっさんにはテイクオフしてもらって、多少はブロークンでもゴリゴリ英語なりスペイン語話して、現地企業とか人にぶっこんで仲良くなって案件とってきて、クラブでラテン美女とmake outしちゃうくらいのガッツのOSSAN(ないしONIISAN)でないと。多分に偏見だけど。そういうOSSANをガチで目指すかは別として、このbonus期間に、1よりも2なんでないのということは試みてみたいなと思っております。
→ 幸か不幸か「クラブでラテン美女とmake out」することはなかったけれど、ここは概ねその通りだったと思っている。日本ではよく「ウチとソト」みたいな話が出ることがあるけれど、それはアメリカでも一定通ずるところがあって、「ウチ」に入っていく気概は大事
食というのは大変にドメスティックなもので、ここ20-30年でかなり食はグローバル化したと思うが、それでもやはり基本的にはインド人はカレーを食べ、アメリカ人はバーガーとピザを食べ、日本人は和食を食べ、ドイツ人はソーセージを食べる。食の世界ではトレンドが一番早いアメリカでも、カリフォルニアやニューヨークといった例外を除くと、バーガー屋やピザ屋が本当に多い。そこに入り込むにはどうしたら良いか?数店舗出してエキゾチックなものとしてやっていくならそのままでも全然成り立つ。けれど、もし数十店舗、ひいては数百店舗を目指すとなると、やっぱりインターフェースを合わせていくしかない。東西海岸にいる知識層と話していると気づかないが、結局マルコポーロの時代から日本の認識というのは変わっていないんじゃないかとさえ思う。はるか東(彼らの地図から見ると)にあるジパング。Ninjaが走り回り、Geishaが街を闊歩する
個人対個人ではその認識は改めていったらいいのだけど、そういう認識が根付いている国に進出して事業を展開していくのであれば、ぶっちゃけそのままでいい。(メディアはそういう取り上げ方が好きだけど)正直日本がなんたるかを正確に伝えるために進出しているわけではないし、日本食を広めるためにやってるわけでもない。純粋にビジネスチャンスがあると思っているからやっているだけ。現地の人に人気が出ないのなら、撤退した方が良い。なので、「日本は本当はこうで」と教育するコストをかけるくらいなら、現地が思っている姿にインターフェース(外観や例えばメニュー構成等)は合わせてしまえば良い。枯山水に私らは日本を感じるかもしれないが、とりま鳥居10本ぶっ立てる方がOh Japan!てなるかもしれない。ただ、食を提供する会社として、製品の品質は変えないし、そこは徹底的にこだわる。ただ、インターフェースは合わせてもいい。そんな想いで開けた店は、まだ成功!失敗!と断じるには早いが、確実に、違った層のお客様(日本人やアジア人のみでなく)に受け入れられ始めているという実感を感じた
組織に関しても、通じるものがある。アメリカ人は基本的にフレンドリーなので、ビジネスの文脈においても、テンション高めに挨拶してハグとか握手してるとすぐ仲良くなれた感じがある。でも継続的に仕事をしていく、特に動いてもらわなくてはいけないのであれば、それでは足りない。大事だなと思った要件は3つ。(i)とりあえず飛び込む気概 (ii)自分の価値を示す (iii) 最適なコミュニケーション経路を探る、こと
- (i) とりあえず飛び込む気概
- 自分が既存または新しく立ち上がった組織に入っていく時、明らかに異質(例えばアメリカ人のみの中に日本人が入っていく)なので、表向きはフレンドリーでも、様子見か場合によっては品定めしていることは大いにある。Day1からこいつすげーと思わせるのは難しいかもしれない。東大出てたって向こうからは”to-dai??”でよくわからんかもしれないし、ハーバード卒でAmazonのマネージャーとかやってないと、経歴で圧倒するのはきっと難しい
- その上で、まずは自分という人間をオープンに出して、たしかにソトから来たんだけど有害な人間ではないよということをわかってもらうこと。なるべく多くの社員やスタッフと話してみることでもいいかもしれないし、店舗や現場がある仕事であればラインに入ってみるのも良い。そして初めの頃に現場をなるべく多く回ること。自分の場合は、「本社スタッフは年に1回は店に入りましょう」というのが施行された際にまず入ったし、3ヶ月で競合含めた対象の食(当時は海鮮丼)を3-4ヶ月で100杯は食べたし、自ブランドの店も当時50店舗中29店舗回った(たぶん未だに経営陣の誰よりも多い)
- 飛び込むということからは少し逆のようになるが、海外だと日本に呼んでアテンドするのも一案。日本はコンテンツが沢山あるので、高級寿司でも良いし、京都観光でも、ロボットレストランにつれて行くのでも良い。香川のうどん屋をバンで1日6軒アメリカ人を連れ回した時は、流石に彼らも顔に疲れと(多量の)脂が見られたが、共に屋台で麺を流し込んだ経験は、その後障壁にあたった時にもそれを流し込む一助になったと感じる
- それくらいやってると、どこまで役立つかはわからないけど一旦こいつはどうやらなんだか熱量が高そうだということにはなる。そうして話を聞いてくれ始める。形式上株主という立場だったのでもちろん話はもともと聞いてくれるんだけど、聞き「入れて」くれることが増える。何人か仲良い人(経営陣に限らず、店長でも)もできてくる。ただここまでだとまだ「ウチ」に入ったとは言い難い
- (ii)自分の価値を示す
- どうやら有害でない人というのはわかってもらえて、なんならナイスガイやないかこいつとなる。ここまでは良い。ただここで終わってしまうともったいなくて、当たり障りない人止まりになってしまう。害はないけど特に益もない。恋愛で言うところの、「彼?あ、優しくて良い人だよね、、」である。外国語が流暢な人ほど、その希少性ゆえ(i)まではすぐいけるので、ここで甘んじてしまうことがあるので注意
- 得意分野は人によって違うと思う。自分の場合はそれがロジックであり、そして数字を見て話をするということだった。先にも書いた”Quick win”というのは結構大事で、自分(またはチーム)の得意分野でそれを示すことで信頼につながる。経営陣が売上を見ないと言って怒るのも良いが、きっと見ろといっても変わらない。じゃあどうやったら見るようになるかと考えて、クラウド連携してるPOSのローデータ引っ張ってきて集計して毎日自動配信されるプログラムを(お金ないからGoogle sheetで)作ったり、あとは月次の報告協議の場で、数字を事前に見ておいて食料原価が0.8%未達の理由をガン詰めしたり、台帳引っ張ってきて費目ベースで経費の内容をヒアリングしたり
- ハレーションは起きる。「ただの良い人」ではいられないし、やっかみがられることもきっとある。でもそこを乗り越えた先に、自身の存在に価値を感じてもらえ、そして本当に動いてもらうようになれると思う。やっと「ウチ」に近づける。役職は、あれば良いけど必須ではない。当然親会社や株主、というのがあったからの部分はあるけど、マジョリティでもない会社の、CxOでも取締役でもない人の話を聞いてくれて動いてくれる経験ができたのは貴重だった
- (iii) 最適なコミュニケーション経路を探る
- 先にも書いたが、アメリカ人は日本人以上に役職や取締役会、株主に対して忠実だと感じた。それゆえ、株主という立場だったり取締役という立場を振りかざせば、結構動かしたりすることはできる。そしてそれは時に必要だと思う。アイデアとしては自分が出していても、「誰に」言われるかによって人の納得感は変わるので、あえて自身でなく上から落とすということは必要。これは日本社会だとよくあることだと思うけど、アメリカでは職務権限とレポートラインがより定義されているので、同じことが言える
- もう少し現場よりに話をするときでも、例えば株主にあたる人が急に現場にきて、動線をこうしようと言っても「誰??」となってしまうしレポートライン的にもよろしくないので、そこは守る(余談だが、日本はそこを超える人が散見されてよくない..)。(ii)まで達すると、話を聞いてくれる人も多いので、どうしても自分で話をした方が早い・話した方が良いのでないかと思ってしまったりするのだけど、そこは要注意
- これは、より効果的に意思伝達を行うため、ということもあるけど、継続的に組織が回るようにするためでもある。企業というのはGoing Concernとして将来にわたって存続すると想定されているが、中にいる人間には寿命があるし、そもそも寿命の前に出入りがあるのが一般的。(i)(ii)までは、特に会社対会社で信頼関係が構築されるまでは、結構属人的になってしまう。ある程度そこができるようになったら、どうやって自身が介在しなくても物事が思った方向に回るか・規範に則って動くかを考えなくてはいけない局面に入ってくる
- これは、親離れみたいなものなので、結構切ないものがある。別で関わった(小さな)国内の事業では、自身がいわゆるCxO的な立ち位置で采配を振っていて、論理的には正しいと思われることをしていたし、改善も進んだが締め切りまでに目標に至らず、会社として清算を余儀なくされたこともあった。これは、ひとえに自身の能力不足によるものだが、もう一つ、そもそも自身がやるべきだったのか(自身でなく他の人が介在すべきでなかったのか)という視点が欠落していたこともあった。「あなたがいてくれないと困る」は個人としては嬉しいが、あなたがいないと回らない組織は持続可能でないし、恥ずべきこと。そこに惑わされて判断を誤ることは避けねばならぬと思う。続けることが責任なのか、身を引くことが責任なのか、難しいことだと今も思う
- 先にも書いたが、アメリカ人は日本人以上に役職や取締役会、株主に対して忠実だと感じた。それゆえ、株主という立場だったり取締役という立場を振りかざせば、結構動かしたりすることはできる。そしてそれは時に必要だと思う。アイデアとしては自分が出していても、「誰に」言われるかによって人の納得感は変わるので、あえて自身でなく上から落とすということは必要。これは日本社会だとよくあることだと思うけど、アメリカでは職務権限とレポートラインがより定義されているので、同じことが言える
おおむね3年前の考えは間違ってなかっれど、当時は論理:情=5:5もしくは4:6くらいで思っていたが、今は7:3くらいだなと思う。情(コミュ力っぽい部分)は大事だし、日本の組織ではそれでいける部分もあるかもしれない。けど、アメリカやおそらく他の国でも、論理がないと価値は出せないし最終的に認めてもらえないなと思う
最後に
3年前と比べると、思ってもみなかったところ、より遠くに来れたのではという感覚はある。日々の業務は楽しかったし、進出やM&Aといった前向きなことにも関わらせて頂いた。一方で人員整理や撤退、清算、売却といった後向きな案件や、自分自身が外されたりといったこともあった。ビジネスに関わる身として強くなった気もするし(とりま腹筋は割れた)、まだまだ勉強経験不足とも思う。総括すると、1勝1敗2分け。でも、人間てゲンキンなもので、振り返ると楽しい思い出ばかりな感じです。ちょっとしんどいこととかないと、飽きちゃうしね。そういう意味で、最高の3年間でした。
29歳、若手と言いにくくなってしまった、、という絶望もあれど、次もまだ刈り取りより種植えの時期。またポップに走って行こうと思います
毎度または折に触れてうどんを食べるたびに写真やストーリーを送りつけてくれた(海外含め)友人の方々、ありがとうございます。たとえ実は違う会社での麺だったとしても、嬉しかったです。今後とも当麺、ぜひブランドを間違えず、よろしくお願いします!
nau 杯
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まだ余力とグローバル感が有り余ってる方はこちらもどうぞ。英語の方が(どうせ読まれないし的なのもあり)ぶっちゃけ書きやすいなと思った
追伸) 分量がインフレして書ききれませんでしたが、下記についてもまたいつか書きたいと思っています
-自分のスペースあると楽しい
-ゼロサムでない、交渉を
-ちゃんとEXITする。甘くない部分も吸う
-飲食は、大変
-傍流でなんぼ
-日本企業の良さ悪さ
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