boyaki

中学生の時
どんな高校があるのか知らないけど、県内で一番という土浦一高に行きたいと思った。成績割と良かった気がするけど、休み時間も授業中も基本鬼ごっこしてたので推薦はもらえなかった。勉強した、入れた。やったぜと思った

高校生の時
自由という噂の飛び交う京大に行きたいと思った。先生に説得され他も1つ受けたけど、第一志望京大、第二志望駿台だった。朝練昼連部活テニスクラブなテニス三昧な日々だった。3年の6月に部活引退した。そんな勉強してなくても受かるぜなフッフーな天才じゃないとは薄々感じてた。普通に京大D判定だった。まぁ凡人フッフーとして、勉強するっきゃないと思った。23:45寝、5:30起、通学で25kmチャリ漕ぐ以外は週末年末年始ぶっ通しで180日勉強した。京大入れた。最低点ぎりだったけと、入ったらこっちのものと思ってた。フッフー!と思った

大学生の時
夢の京大ライフ。留学行きたいな〜hahaと思った。TOEFL8回受けた(¥17万)けど第一志望(Upenn)は3回落ちた。ラリア(Aus)行った。前例ない言われたけど、応募したら2回目行けた。ヨーロッパ(ウィーン)行った。就活。留学してたから留年しようと思ったけど、ボストン(キャリアフォーラム)で運良く内定を貰った。2ヶ月インターンして、外コンたるものに行くことになった。いよって思った

社会人の時
日本の大学生はほぼ初で、jackpot見つけた気持ちだった。飲み会以外で人一倍バリュー出した記憶は皆無だが、2年ちょっと生き延びた。パリに行った。ボストンにいけることになった。同年代に比べても早めな海外。うひょーて思った

ボストンの時
駐在員感はゼロでアメリカ人の一員として働くことになった。アメリカのオペ室でどんな器具が使われてるかも洗車のトレンドがどんな感じかも家の壁の素材の変遷も知らんかったけど、そんな感じでプロジェクトをこなした(いなした)。ロンドン/シドニーミュンヘンからも人来てて、愉しい。共通の話題は、”what’s next?”。ここまで、主に運とガムシャラに助けられうまく行ってきた感ある。次はなんだろう。会社の卒業生も、”Consulting is a decision that you decide not to make decisicion”と言う。コンサル界隈で出会う人は偏っているのだろうと思う。スタートアップの会合にも行ってみる。それはそれで内輪感がある。まぁまぁ現状に満足してても、この国は”what’s next?”プレッシャーが強い気がする。「ずっと転職活動を強いられる感じ」と、NYのバンカーの日本人女性も言う。”これYA!!”というアハ体験は来るんやろか。ボストンの高層ビルでDELL叩いてるのもいいけど、茨城の田んぼでザリガニ釣ってたときもまぁまぁハッピーだった気がする。グルジアの丘のてっぺんで空見上げて、何したねーん空見てた3年前から見た今は、どんなもんかね。クゥー(Q)て思った
まとめ:ピザもいいけどすき家いきてえ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です