外的コンサルのうどん屋修行

外的コンサルのうどん屋修行

春のあさりうどん。うまいよ

1週間(7営業日)店舗研修がありました。オペレーションの中に入って、ホールやレジやってました。
学生の時にガッツリ飲食で働いたことはなく(ホテルはあるけど)、貴重な経験だったので感じたことを備忘録的に書きます。

現場すごい。そしてめちゃ大変

丸亀製麺では出来たて+手づくりの商品を提供したいという想いからセントラルキッチンを持たず、各店舗それぞれで麺を小麦からプレスして、こねて、ねかせて、切って茹でて提供しています。品質管理の観点から茹で上がって15分以上経った麺は廃棄(おむすびは2時間)、加えて看板商品の釜揚げうどん(麺が茹で上がってから冷水につけてしめる前に提供する)は厳しく茹でられる時間が決められており、その基準に達したもののみが提供されます。その上で、かけ/ぶっかけ/釜揚げ/ざるうどんを290円で出す。

このオペレーションを、社員、熟練の日本人パートナースタッフ(以下PS。アルバイト)や、ネパールやベトナムからの留学生PSの多国籍チームで回していく。自分がいた店舗はオフィスビル内にあり、ピーク時の11:30-13:30の2時間には数百人のお客様がいらっしゃる(大体1名様/15秒くらい)。スタッフが全員熟練であればパッパと回っていくのも想像がつく(香川のローカルのうどん屋とか?)けど、新しく入った留学生PSや自分のようなペーペーもいる中で、このオペレーションが回っている、回しているのは本当にすごい。開店の2時間前からも10名前後のスタッフが仕込みに勤しんで、ピーク後の午後15時頃も、今度は夜の仕込みに向けて忙しく手を動かしている。

このオペレーションを実現させている背後にある要素の中で、特に感心した2点をアゲたい。

  • 徹底的に標準化されたシステム

必ずしもフルにIT化しているわけではないけれど、この分量(グラム)を何分間煮て、それをうどんに載せて、この順で薬味を、だったりおむすびはお米なんグラムに上に具をなんグラム、中に何グラム。といったことが細かく決まっている。そのため新しい人が入っても、ある程度そのプロトコルにのって作業をすれば、おいしいうどんや親子丼が出来上がる。勿論ポジションによって(天ぷら、洗い場、製麺、ホールといったように役割が日々アサインされている)難度の差はある(釜と呼ばれる、麺を茹でるには熟練が必要)。それでも、流動的なチームで日々このオペレーションを実現させているこのシステムはとてもよく考えられている。

「マニュアル」と言うとあまり響きは良くない気もするが、特にチェーンという業態において一貫した品質・美味しさの商品を提供するためにまず徹底的に標準化されたシステムというベースがあるのはとても重要。美味しさを実現するためにオリジナリティや属人的な技術はそのしっかりした土台にのっかっていくもの。(余談だけど、丸亀の店舗で、「XXさんの麺はやはりコシがひと味違う」みたいな話がされるのは珍しくない。勿論他の人がやっても品質は担保されている上での話)

  • 野球団よりサッカーチーム

上記の様に、基本的に持ち場は決まっているのだけれど、持ち場によってはお客様の入店状況や厨房内の状況によって持ち場を超えて流動的に動いていかなくてはいけない。特に自分が担当していたホールという持ち場は、お客様に商品を運ぶこと、机を拭く、そして薬味の補充といった作業がメインの職務だった。けれど、お子様連れやご年配のお客様にはお席までお手伝いをするし、天ぷらの皿やおぼんが減ってくればその補充、会計が詰まっていればサブのレジでレジ業務をやるし、洗い場が詰まっていればそこのフォロー。

元々の作業でもかなり多忙で席に目を配っていなければならないが、そこのポジションに加えて店内全体の作業に目を配っている必要がある。時間帯やオーダー状況、その日のメンバーの布陣、そしてお客様の属性といった変数により全体のオペレーションの中のボトルネックというのは刻一刻と変わっていて、「外野ちゃんとフライとれよなー」でなく敵陣に攻め込むDF長友くらいのガッツがいる。レジやってても天ぷらのとこでフライ(揚げ物)とってかなきゃいけないこともある。常に頭を文字通り回転させていく必要があり、11時に開店して、大体気づけば14時になってた。

もちろん釜(麺茹で)の様に固定的な持ち場(GK的な)もあるけれど、この流動的なシステムのおかげで、刻一刻と変動するボトルネックにも対応していけるし、メンバー同士も「いつもレジで詰まってて・・」みたいな責任のなすりつけも減る。オープンキッチンという、ほぼすべての従業員が常にお客様の目に写りうる形態によりそういう責任のなすりつけあいの様な非効率を生む陰湿さ?も減っている側面はあると思う。

ペコモンと匿名性の暴力

次に、レジやホールといったお客様と数多く接する中で感じたこと。自分がいた店舗はオフィスビルの中にあったので、お客様の多くはサラリーマン/ウーマン。お昼のピーク時はいつも長蛇の列であり、皆手軽にランチを済まそうと急ぐ。そういう時は、オペレーションが洗練されていても、やはりレジであったり、商品の提供であったりといったところでお待たせしてしまうことがある。ほとんどのお客様は慣れていることもあり、はいはーい的な感じだけれど、中には声を荒げたり文句を仰る方もおられる。あるいは特に何もなくても、やたらに上から目線/偉そうだったり。勿論待たせてしまうことや薬味やコップが切れていることは店舗側の不備であり、お叱りを受けることは当然とは認識している。しかし、そこまで..?というのはやはり存在して、悲しくなることもあった。そういう方々もオフィスに帰れば部長や取引先にペコペコしてるのであれば、ペkくらいの気持ちをそこで持ってもいいのではと思った。

そういったペコペコモンスター(ペコモン)を因数分解してみると、構成要因としては、a)元々性格悪め b)その日便秘だった c)うどん屋が俺私の時間とるなマインド 等がアゲられる(MECEでない)。その中で特に(c)の裏には「匿名性の暴力」があるのでないかと考える。一部の高級寿司屋や祇園の一見さんお断りのお茶屋を除くレストランやコンビニでは基本的にあなた(客)は匿名でいられる。一方でサービス提供者側は名前(場合によってはフルネーム)をさらけ出している。そこでは、あなた(客)は、自分の情報を一切晒すこと無く、つまり自分は追跡されない状態で名指しで批判文句中傷を表現することができる。高級寿司屋やお茶屋さんでは客側も素性が明かされるor名は明かさずともdisciplineが要求される環境なので、そういったことは起こりにくい。一方で、うどん屋に一度暴言を垂れたって、別の店舗でぞんざいに扱われることもなければ、部長に小言を言われることもないし、行きつけのキャバクラのねーちゃんに嫌われることもない(そこは相関してそうだけど)。

ペコモンは、おそらく言っても変わらないし、サービス業の現状のシステム(匿名vs実名)が生むノイズなので仕方ないかなとも思う。UberやAirBnBといった相互評価(ドライバーvs乗車客 / ホストvsゲストでレビューの重要性の非対称性は勿論あるが)のシステムが他の分野にも広がってっていけばある程度駆逐されうるのでないかという希望は持ってる(#評価経済)。飲食店でのドタキャンが多い客のブラックリストが作成されるという話も聞くし、今も厳密に言えばポイントカードやクレジットカード情報であったり、客側の痕跡が残っていないわけではない。レストランであなた(客)の一挙一動がデータとして残される時代が来るかはわからないけれど、少なくとも”実名”のサービス提供者も意外と”匿名”のあなた(客)を見ている。

レストランやコンビニ、タクシー、コールセンター等々。別にいつもニコニコしている必要はないし、非があれば厳しい言葉を投げかけることも必要だろう。けれど、あなたが苦言を呈しているそのひとは、(まだ)ロボットではなくあなたと同じ様に親や子供がいる人間で、基本的には良いサービスを提供したいと思っていて、そして思っている以上に”匿名”のあなたを見てますよ、ということは心にとどめておいても良いと思った。自戒も込めて。便秘の日はやっぱりつらいけどね。

現場の限界

現場に入ってみて、オペレーションのすごさを感じる一方で限界を感じることもあった。上記の様に、現場のオペレーションは標準化されたシステムがあって、多国籍チームでも戦えてすごい。しかし、ただまだお客様をおまたせしてしまったりオペレーションの改善が図れること、あと何よりもっと皆ハッピーに働けるといいのになと思う。標準化はされているものの、だからといって単純というわけでなく、現場ではやはりベテランPSによるテコ入れや口伝の蓄積がある。

もっともっと、標準化のレベルをアゲていくこと。ネギ缶としょうが缶と天丼たれ入れの位置関係や冷蔵庫内のてんぷらの具材の位置関係、お客様が並ぶ位置のサインになる14本のポールの立ち位置、おにぎりの「ふんわりにぎる」の”ふんわり”はどう定義するのか等々。各人で経験則的に蓄積された情報(/洞察)はどんどん定量化・視覚化して一覧性のある形で残していく(写真をラミネート加工して置いとくとか)。こういったことは現場でも出来るし されているけれど、現場はとってもとっても忙しい。ましてITに関わる部分、POSレジの改善やオーダーシステムの変更等になると、もうお手上げ。開店5分前、てかお客様がもう入店されてる中で「ペイメントシステムのオプティマイゼーションが〜」と言ったって「fu**とりまうどん運べ」てなる。

「人を信じて、人を信じず」という言葉を最近目にしてすごく納得感があった。丸亀で言えば、うどんが無人のベルトコンベア式で作れるようになると、それは短期的には面白さはあるがきっと湯気がモクモクと上がってる麺職人(風)が麺を茹でているある種のエンターテイメント性がなくなるときっと寂しい。人が介在することで生まれる価値を信じている。けど例えば野菜かき揚げの野菜を人の手で400g測ってるか機械から自動で出てくるかは多分どっちでもいいし(てか見えない?)、洗い上がった天ぷら皿を人の手で拭いてるのか機械で乾かしているのかもどっちでもいい。人の手が入ることによって誤差が生まれ、その集積によりオペレーションに歪みが生まれる要因にもなる。複数のベテラン(風)の人が自分の感覚で物事を進めることで、一貫性がなく新人が困るという話は飲食に限ったことではないだろう。

そういう意味では、「人を信じず」ITも活かしながら標準化を更に進めることは必要だろうし、「人を信じて」麺職人を育成したり個々人の技術やマインドの成長に投資していくことも必要だろう。要は「手づくり」「出来たて」を構成する要素をコア・ノンコア要素に分け、ノンコアは切り捨てor自動化仕組み化し、デジタルであれアナログであれ標準化して改善して現場の負担や誤差を減らせるものがあればダイナミックに取り入れていく。今後特に海外展開していくにあたって、勿論投資対効果を鑑みながら、こういったことを意識していきたいと思う。

Hey 麺

徒然読書ログ

→サイゼの話。自分の感覚は信じないという定量ベースの姿勢がすごく好感

→割と前に読んだ小説だけど、「寿司ネタは打率3割で良い」とか、割と今も思考嗜好のベースになってる感ある

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